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隅田川夜話 江藤淳「最後の批評」
隅田川をパリのセーヌに見立て、徒然なるままの随想を、思いつくまま、寄せては返す波のように、静かに... 隅田川をパリのセーヌに見立て、徒然なるままの随想を、思いつくまま、寄せては返す波のように、静かに流れる川のように、語りつつ書いていく。雲を眺め、一人夢想する異邦人さながらに。 吉本隆明の死去に伴い思いだす人物は、一九九九年の七月に六十六歳で自らの命を絶った江藤淳という文学批評家のことである。 学生のころに、図書館で「小林秀雄」を読んでいて、胸を熱くした覚えがあった。この人における喪失感というものが余程に深いことは、社会学者の上野千鶴子氏が「成熟と喪失」は涙なくしては読めないとの感想を書いていたのを読みさもありなんと納得したものだ。 吉本の所で記したことだが、二人の対談で印象的だったのは、吉本が現実の政治に傾倒している江藤を前にして、あなたほどの人がああした世界へ肩入れしていることは、もったいないのではないかとの趣旨の発言に、江藤が色の為す態で次のような反論をしたことがあった。 「私はあれを