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平清盛曾孫最期の地「六代御前の墓」 | Kousyoublog
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平清盛曾孫最期の地「六代御前の墓」 | Kousyoublog
逗子駅から海岸回りで十五分ほど歩いた田越川に面した高台、仙元山の麓付近に六代御前の墓がある。 六代... 逗子駅から海岸回りで十五分ほど歩いた田越川に面した高台、仙元山の麓付近に六代御前の墓がある。 六代とは、平維盛の嫡男、平清盛の曾孫にあたる人物で、平正盛、忠盛、清盛、重盛、維盛と続く伊勢平氏の直系の六代目に当たることから幼名として六代と名付けられた。承安三年(一一七三)生まれ。平高清とも呼ばれるが、高清を名乗ったかどうかは確かではない。 平家の栄華を支える後継者として成長するはずだったが、治承四年(一一八〇)、以仁王の挙兵に始まる怒涛の戦乱は平家の滅亡と鎌倉政権の樹立によって幕を閉じ、平家滅亡後の文治元年(一一八五)、母新大納言局(藤原成親の娘)とともに京都偏照寺の奥、大覚寺の北、菖蒲谷とよばれる一帯に潜んでいたところを北条時政によって捕縛される。時政によって殺害されるところだったが、頼朝の強い協力者で平家打倒に暗躍していた僧侶文覚が頼朝に六代は自分の弟子であるとして助命を嘆願、赦されて文