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大学改革の面従腹背と過剰同調 | TETRA’s MATH
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大学改革の面従腹背と過剰同調 | TETRA’s MATH
大学改革について知ろうとしている。いまは佐藤郁哉『大学改革の迷走』(2019年)のごく一部を読んでい... 大学改革について知ろうとしている。いまは佐藤郁哉『大学改革の迷走』(2019年)のごく一部を読んでいるところで、今回は第四章をのぞいてみることにする。 第四章の章タイトルでは、面従腹背、過剰同調という言葉が使われている(面従腹背といえば前川喜平さんの本の書名を思い出すが、読んではいない)。つまりは「御上からの御達し」に対する大学現場の対応の話であり、本文中では「脱連結(decoupling)」と「被植民地化(colonization)」のかっこ書きとして出てくる。 上からの改革に対して現場の人々が示してきた典型的な対応の一つが、面従腹背。簡単にいえば「やってるふりをする」「やっているようにみせる」ということだろう。消極的な抵抗の姿勢に終始することになるので、結果として形骸化していく改革施策が少なからず出てくる。それが一方では改革の「実質化」を目指す施策の新たな提案へと結びつき、悪循環へと陥