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故郷、南島原ではじまった日本キリスト教布教と、その後の迫害~島原の乱、隠れキリシタン、明治までの... 故郷、南島原ではじまった日本キリスト教布教と、その後の迫害~島原の乱、隠れキリシタン、明治までの歴史。それぞれの出来事について「何故そうなったのか?」を辿ってみるかたちで全体の流れを掴もうとチャレンジしてみてます。 ——— 1492年、ポルトガルとスペインがイベリア半島からイスラムを排除しレコンキスタ完了、逆にアフリカへ侵攻し始める。 コロンブスがバハマ諸島に到着し西回りインド航路を発見したと宣言(実際はアメリカ大陸の発見)。大航海時代の幕開け。 1494年、ローマ教皇がトリデリャス条約を締結。スペインは西回りでアメリカ大陸、ポルトガルは東周りでアジアへ世界布教を開始。 1498年、ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路の確立。イスラム商人の妨害にあうが、ヨーロッパ諸国のアジア進出が進む。 1500年、イスラム勢力圏のスエズ運河の代替として、東まわりインド航路を模索していたポルトガルのカ