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NAMs出版プロジェクト: ショーペンハウアーとウィトゲンシュタイン
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NAMs出版プロジェクト: ショーペンハウアーとウィトゲンシュタイン
「私が進んできた道は次のようなものである。観念論は人間をユニークなものとして世界から分離する、唯... 「私が進んできた道は次のようなものである。観念論は人間をユニークなものとして世界から分離する、唯我論は私だけを分離する。そして最後に、私が見てとるには、私もまた残余の世界に属するのである。従って一方には何も残存しなく、他方には世界がユニークなものとして残存する。このようにして観念論は厳格に考え抜かれると実在論に至るのである。[((論考)5.64☆を参照]」 (ウィトゲンシュタイン、1916年10月15日、「草稿」邦訳『ウィトゲンシュタイン全集第一巻』277頁より) D・A・ワイナーによれば上記の記述もショーペンハウアー『意志と表象〜』に応酬したものだと言う(三和書籍141頁)。 ワイナーは指摘していないが、同じ論理がショーペンハウアー『根拠律』(19節邦訳全集第一巻51頁)のスピノザに関する言及にもある。 →『意志と表象としての世界』:図解&目次 『天才と才人―ウィトゲンシュタインへのショ