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憲法論議は戦後最大の思想戦②: 政治評論家・山本峯章のデータ・ファイル
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憲法論議は戦後最大の思想戦②: 政治評論家・山本峯章のデータ・ファイル
●憲法より憲法学者の脳を改正すべし 政治や外交において、主権ほど重要な概念はない。 国家は、領土や国... ●憲法より憲法学者の脳を改正すべし 政治や外交において、主権ほど重要な概念はない。 国家は、領土や国民、国益にわたる主権的実体で、世界史は、主権をめぐってくりひろげられた戦争や革命、国家興亡の記録といってよい。 一方、主権は、定説のない不確かな概念でもあって、そのあいまいさが政争や紛争の火種となってきた。 ヨーロッパで主権という概念が生じたのは、絶対王権(王権神授説)の根拠や宗教権力にたいする国家権力の優越性を示すためで、元々、便宜的なものだった。 超越的な絶対権力を立てなければ、王権が安定せず、宗教戦争や領土紛争に決着がつけられなかったからで、国家主権を国家のあいだで承認しあったのがウェストファリア条約(1648年)だった。 同条約が、国家法や国際法の出発点で、ほかに主権を定めた条約や国際的な合意は存在しない。 交戦権が国家主権の代名詞となったのは、法を超える主権を法的に規定することがで