エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
![suzu_hiro_8823 suzu_hiro_8823](https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/suzu_hiro_8823/profile.png)
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
志村建世のブログ: 「主権回復の日」に思うこと
1952年・昭和27年の4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効して日本が法的な独立を回復したとき、私は... 1952年・昭和27年の4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効して日本が法的な独立を回復したとき、私は惨憺たる受験結果を経て大学に入学したばかりだった。朝鮮戦争は継続中であり、アメリカ軍の駐留も継続していたから、これで日本が独立したとか自立したとかいう明るいムードは何もなく、それらしい行事も記憶にない。 吉田首相が講和の演説で「欣然これを受諾いたします」と日本語で演説した声はラジオで聞いていたが、その前に「全面講和」か「単独講和」かで日本を二分する大論争があり、それが朝鮮での戦争とも無関係でないことは承知していた。それでも問題はあるにしても、日本がアメリカの保護下で独立を回復するのは、しないよりは良いことだろうと思っていた。 それにしても奇妙な「占領下」の暮らしだった。アメリカ軍に全土を占領されたのに、日常に軍政が顔を出すことはなく、「進駐軍」の兵士たちは基本的に市民に対して友好的だっ
2013/04/29 リンク