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文学批評 「丸谷才一『笹まくら』、橋姫、七夕」 - 秋谷高志 批評をめぐる試み
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文学批評 「丸谷才一『笹まくら』、橋姫、七夕」 - 秋谷高志 批評をめぐる試み
「丸谷才一『笹まくら』、橋姫、七夕」 丸谷才一の長編小説のなかで『笹まくら』(1966年)が最高傑... 「丸谷才一『笹まくら』、橋姫、七夕」 丸谷才一の長編小説のなかで『笹まくら』(1966年)が最高傑作である、と考える読者はかなりいるのではないだろうか。おそらくその人は、処女長編の『エホバの顔を避けて』(1960年)を著者が習作と呼んでいたとは思わずにすぐれた作品だと感嘆し、対(つい)であるかのように、ほぼ10年ごとに発表された『たつた一人の反乱』(1972年)はまだしも、それ以降の『裏声で歌へ君が代』(1982年)、『女ざかり』(1993年)、『輝く日の宮』(2003年)、『持ち重りする薔薇の花』(2011年)は、モダンな技芸と文明批評との融合によって脳が活性化し、うまい、と膝を打っても、胸高ならすものは感じなかったに違いない。評論、書評、エッセイストとしての丸谷の言うことはいつも正鵠を射るものであるだけに、模範解答、表現形態である小説がつまらないとは言いだしにくい、というのが本音という