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『敗戦の積極的肯定と、強いられた敗戦的現実としての戦後の否定へ』
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『敗戦の積極的肯定と、強いられた敗戦的現実としての戦後の否定へ』
●よく、日本では「終戦」ではなく「敗戦」と言うべきだという声があるが、ちなみに首都ベルリンの攻防戦... ●よく、日本では「終戦」ではなく「敗戦」と言うべきだという声があるが、ちなみに首都ベルリンの攻防戦までして敗れたドイツはどうかというと、意味的には、戦争終結、終戦という言い方がなされるが、通常は、日本語に訳すと「破局」「崩壊」「終結」という意味の「Katastrophe」が一般的に使用されている。 ●日本に、先の戦争の敗戦を真に認識している立場はあるだろうか。確かに敗戦の感情や思いはあるが、何処かで強いられた外...的体験の域にとどまり、自己のものという内的体験にはなりきれていないのではないか。だから、どれもこれも戦後になったことは肯定しながらも、敗戦から逃げていないか。だからアメリカの属国になりながら戦前を志向する、かつての戦前よりもある意味では醜悪な、保守や保守化した右翼に顕著な捩れが生じたりもする。そうではなく、敗戦を直視し、内的体験として受けとめながら、戦後を批判し、否定する必要が