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『江戸時代、中野区にあった桃源郷と象小屋(象厩・きさや)の跡。!(^^)!』
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『江戸時代、中野区にあった桃源郷と象小屋(象厩・きさや)の跡。!(^^)!』
徳川五代将軍・徳川綱吉の時代に中野駅周辺 に犬屋敷があったことは、前回ご紹介しました が、徳川綱吉... 徳川五代将軍・徳川綱吉の時代に中野駅周辺 に犬屋敷があったことは、前回ご紹介しました が、徳川綱吉の死後、犬屋敷は桃源郷になり ました。(^^♪ 徳川八代将軍・徳川吉宗は、飛鳥山や隅田川 の墨堤に桜を植樹して、江戸庶民の行楽地に しましたが、犬屋敷の跡に桃の木を植樹して 茶屋の営業を許可しました。徳川吉宗もこの地 に鷹狩りに訪れ、桃源郷に見入ったそうです。(*'▽') 桃の木は、幕末に枯れてしまったそうですが 現在も桃園小学校や囲桃園公園、桃園川緑道 などにその名残りを見ることが出来ます。(*‘∀‘) (飛鳥山公園) (隅田川・墨堤の桜) また、徳川吉宗は中国人貿易商鄭大威が ベトナム経由で連れて来た象が京都で中御門 天皇と霊元法皇の謁見を受けた後、江戸で 上覧され、暫く浜御殿(現在の浜離宮)で飼育 していましたが、餌代が高くつき、象は中野村 の源助に払い下げられ、寛保2年(1742年)に