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蓮如上人の『御文』を読む -8ページ目
そもそも、吉崎の当山において多屋の坊主達の内方とならんひとは、まことに先世の宿縁あさからぬゆゑと... そもそも、吉崎の当山において多屋の坊主達の内方とならんひとは、まことに先世の宿縁あさからぬゆゑとおもひはんべるべきなり。それも後生を一大事とおもひ、信心も決定したらん身にとりてのうへのことなり。しかれば内方とならんひとびとは、あひかまへて信心をよくよくとらるべし。 それまづ当流の安心と申すことは、おほよそ浄土一家のうちにおいて、あひかはりてことにすぐれたるいはれあるがゆゑに、他力の大信心と申すなり。さればこの信心をえたるひとは、十人は十人ながら、百人は百人ながら、今度の往生は一定なりとこころうべきものなり。その安心と申すはいかやうにこころうべきことやらん、くはしくもしりはんべらざるなり。 答へていはく、まことにこの不審肝要のことなり。おほよそ当流の信心をとるべきおもむきは、まづわが身は女人なれば、罪ふかき五障・三従とてあさましき身にて、すでに十方の如来も三世の諸仏にもすてられたる女人なりけ