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続・小林秀雄試論 ―「時間」と「身体」― | 栗ティーク21のブログ
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続・小林秀雄試論 ―「時間」と「身体」― | 栗ティーク21のブログ
前回、筆者は、「モオツァルト」の最終部における小林秀雄の「彼(筆者註;モーツァルト)は、時間とい... 前回、筆者は、「モオツァルト」の最終部における小林秀雄の「彼(筆者註;モーツァルト)は、時間といふものの謎の中心で、身體の平均を保つ」という文章と、小林秀雄の晩年の歴史に関する対談での「歴史を知るとは身に得ることだ」という言葉との関連性を指摘した。 この部分はやや分かりにくいとも思えるので若干、補足しておこう。上の文章を理解するうえで恰好の手引きとも言える言葉を、小林は、物理学者湯川秀樹との昭和23年の対談「人間の進歩について」で残している。その部分を引用してみる。 小林 併し、僕らの思考の世界には必ず出たとこ勝負の面が伴うということは面白いことですね。どうも乱暴なことを言うようだが。さっきの話の時間の向きにしてもそうでしょう。ボルツマンの言うように、人間とは逆向きの時間を生きる生物が何処かにいるかも知れません。してみると、本当は時間なぞてんで経っていないのだとスピノザのように考えた方がい