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『江藤淳の「村上龍・芥川賞受賞のナンセンス」を読む』
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『江藤淳の「村上龍・芥川賞受賞のナンセンス」を読む』
いま再び仕事をしているので時間に余裕がなく、拾い読みしかできないのですが、意外とこれ余計なものを... いま再び仕事をしているので時間に余裕がなく、拾い読みしかできないのですが、意外とこれ余計なものを読む必要がなく、怠惰に時間を浪費することもなく、案外刺激的かつ効果的な時間となっています。 江藤淳は村上龍のデビュー作『限りなく透明に近いブルー』をサブ・カルチャーと決めつけて批評さえしていないこの一文は、実は「サンデー毎日」の1976年7月25日号で「談話」として発表されたものです。 「社会学の述語に”サブ・カルチャー”という言葉がある。”下位文化”と訳されているようだ。国語としてあまり熟していると思われないが、村上龍の作品は、結局一つの”サブ・カルチャー”の反映にすぎず、その”表現”にはなっていない、というのが、私の感想である」 この一文では江藤が何をいいたいのかわかりません。村上龍の作品を「サブ・カルチャー」の括りに入れて、なおかつその「反映」にすぎなくて、なおかつ「表現」になり得ていない