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『U.M.E.D.Yが拓いた「アイドル・ラップ」という地平』
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『U.M.E.D.Yが拓いた「アイドル・ラップ」という地平』
ラッパー・U.M.E.D.Yこと梅原大が46歳の若さで2017年の年末に他界した。 彼はモーニング娘。の古参のフ... ラッパー・U.M.E.D.Yこと梅原大が46歳の若さで2017年の年末に他界した。 彼はモーニング娘。の古参のファンであるなら、モーニング娘。をスターダムに伸し上げた功労者として、つんく♂や夏まゆみの次に上がってもおかしくない存在である。 EDUのラッパーとして日本のヒップホップシーンの黎明期から活躍し、多くの後輩ラッパーから一目置かれる存在ではあったが、彼はあくまでも裏方としての道を選んだ。 太陽とシスコムーン『Magic of Love』の楽曲制作にかかわった後、本格的につんく♂の右腕として積極的にハロプロ楽曲に参画。『恋愛レボリューション21』のヒットによってアイドルソングにラップというものが一つの大いなる選択肢として確立することとなった。 その後、lyrical school(リリカルスクール)やRHYMEBERRY(ライムベリー)といったラップソングに特化したアイドルグループを生