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正信偈33 弥陀の正客 | すらいむ1号の正信偈【独訳】
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正信偈33 弥陀の正客 | すらいむ1号の正信偈【独訳】
『南無阿弥陀仏』という念仏は、亡くなった方の冥福を祈る言葉、死者のご馳走は念仏、そんな声をよく聞... 『南無阿弥陀仏』という念仏は、亡くなった方の冥福を祈る言葉、死者のご馳走は念仏、そんな声をよく聞きます。 例えば、事故に巻き込まれて不幸な最期をとげた方がいたとしましょう。その現場に花を添えて、何とか極楽へ成仏しおくれ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、と手を合わせる。そんな光景を見たことはないでしょうか。 この世の最期は不幸でも、せめて死後は安らかに眠って欲しいという気持ちが起こるのは、自然な心の動きでしょう。しかし、死んでしまった者の往く(ゆく)先を、念仏で救うことが出来るのでしょうか。 お釈迦さまの教えに、こんな話があります。 一人の若者が、お釈迦さまに尋ねました。 「私の母が大変苦しい病気にかかって亡くなりました。母が安らかに成仏し、極楽浄土へ行けるように、毎日寝る間も惜しんで念仏をしております。母は、極楽浄土へ行くことが出来たでしょうか」 すると、お釈迦さまは近くに落ちていた小石を拾い