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正信偈30 阿弥陀仏のはたらき | すらいむ1号の正信偈【独訳】
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正信偈30 阿弥陀仏のはたらき | すらいむ1号の正信偈【独訳】
子供の頃。遠足の前日に、てるてる坊主を作ったことがありますか。 翌朝。目を覚まして、晴れていれば「... 子供の頃。遠足の前日に、てるてる坊主を作ったことがありますか。 翌朝。目を覚まして、晴れていれば「良い天気だ」と跳び跳ねて喜び、雨が降っていれば「悪い天気だ」と暗い雲を恨めしく見上げるのです。 遠足をする私にとって都合の良い天気が晴れであり、遠足をする私にとって都合の悪い天気が雨なのです。 私がどう思おうと、雨は雨です。降る時には降り、降らない時には降らないのです。雨に、良いも悪いもありません。 同じように阿弥陀仏のはたらきも、私達の良し悪しのモノサシとは無縁なのです。 阿弥陀仏のはたらきは、常に私達を照らし続けています。その光を受け取る私達の方に、気づく人と気づかない人がいるだけです。 親鸞聖人は阿弥陀仏のはたらきを、こう表現されています。 不可思議(ふかしぎ)。 結局のところ「そうとしか言いようがない」と仰っているのです。不可思議。それはつまり『人の力では計り知れないもの』ということで