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『平清盛 第八話「宋銭と内大臣」 その背景 藤原忠通・頼長兄弟は親子でもあった?』
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『平清盛 第八話「宋銭と内大臣」 その背景 藤原忠通・頼長兄弟は親子でもあった?』
以前もお書きしましたが、 この時代を知るためには天皇家と摂関家、 そして源氏と平氏のそれぞれの内側... 以前もお書きしましたが、 この時代を知るためには天皇家と摂関家、 そして源氏と平氏のそれぞれの内側と、 外との関わりを理解するべきなのでしょう。 今回はそんなお話です。 この劇中の頃の前後、天皇家は祖父と孫という間でありながら、 甥と叔父という間柄でもあった鳥羽上皇と崇徳天皇の間で軋轢がありました。 そして同じ頃、摂関家でも不和が生じていたんです。 この彼、これまでも登場し続けていた藤原忠実です。 その長男がこの忠通で、 次男が頼長となります(忠通から見れば異母弟)。 この兄弟について父の忠実曰く、 忠通は風月に長じ、頼長は経史に通ず とのこと。 兄の忠通は温厚で書に優れ歌に通じ、また自身もよく歌を詠み、 彼のこの歌が小倉百人一首にも選ばれていたりもします。 そんな兄に対し、弟の頼長は 日本一の大学生 と言われていたそうです。 学生は"がくしょう"と読み、今でいう学者ぐらいの意味で、 それ