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非常に論理的かつ説得力にあふれた議論だと思うけれども、最後の「司祭」..
非常に論理的かつ説得力にあふれた議論だと思うけれども、最後の「司祭」云々はいただけない。それまで... 非常に論理的かつ説得力にあふれた議論だと思うけれども、最後の「司祭」云々はいただけない。それまでの議論と全く異なる話にねじ曲げてるじゃないか。日銀が実際にコミットメント(注:単なる約束ではなく、法的な結果責任を伴う約束)を実行する能力あるいは意思に欠けていたというのが、Eggertsson and Woodford (2003)で示された事実だろう。実際、日銀はコミットしてないよね。したか?何か結果責任を問われたか? 全くないよね。これは英文解釈とか学説の問題ではなく「事実」だ。 つまり、「日銀は、標準的な処方箋を実行しなかった」が事実なのに、なぜか司祭の出てくる喩え話では「実行したのに効果が無かった」ことにねじ曲げられてしまっている。現時点で量的緩和をいくらやろうと無効だというのは、まさにWoodfordらをはじめとするリフレ派の帰結じゃないか。コミットメントこそがインフレ目標によるリフ
2010/02/22 リンク