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自分の不快感だけで他人の行動の自由を奪ってはいけない
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自分の不快感だけで他人の行動の自由を奪ってはいけない
というのは至極当たり前なのに、具体論(例えば、タバコや飲酒)になると、容易に他人の自由を奪おうと... というのは至極当たり前なのに、具体論(例えば、タバコや飲酒)になると、容易に他人の自由を奪おうとする人間が多すぎて怖い。 むしろそれが、理性で自由を押さえ付ける理性的行動であるかのような受け止められ方をしていて、感情ある人間としては恐怖を感じる。 ここ数年のインターネットは、他人の自由を理屈的かつカジュアルに奪うことが密かな快楽みたいで、本当は自分が不快だからというだけなのに、 なにかしらの社会的理由で上手く糊塗して他人の自由を気軽に奪って、その見えない他人を傷つけることに喜びを感じる人が多い気がする。 もちろん、その本人は、自分が不快に感じる特定の自由だけを拒否してるつもりなんだろうけど、それが自由からの逃避というムーブメントとなり、 国家権力が介入するようになったら、他人の自由を奪うんじゃなかった…と嘆いても遅いと思う。某作家がそういう小説を描いたのもわかる気がする。 それが多数派とな