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1986年に出版された『任天堂のファミコン戦略』という本が手元にあったので..
1986年に出版された『任天堂のファミコン戦略』という本が手元にあったので読み返してみたら、以下のよ... 1986年に出版された『任天堂のファミコン戦略』という本が手元にあったので読み返してみたら、以下のような記述があった。 ・ファミコンのCPUは任天堂とリコーそれぞれ5名ずつだして10名のプロジェクトチームを作り開発した。 ・当時のリコーのスタッフ曰く、任天堂から「ゲームウォッチがピークに来ておりアーケードも落ちていくと予想されるので、新しい製品を作りたい」と昭和57年の夏に声をかけられた。 ・開発費は億に達したと言われている。 ・リコーの窓口となった浅川俊文は「任天堂には泣かされました。ゲーム機とは言え立派なコンピュータ。その半導体チップを2000円以内で押さえろというんですからね」と語っている。 ・それに対し任天堂は2年で最低300万個生産すると保障し、無茶な要求を飲ませた。 ・でもその条項は契約締結直前になって契約書から削除された。 ・昭和58年春に6502互換CPUの採用が決まった。
2021/05/08 リンク