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吉本隆明氏の死 - Arisanのノート
吉本隆明氏が亡くなった。 ぼくがはじめて吉本の本を読んだのは、短大に入学した1980年頃、カバー付... 吉本隆明氏が亡くなった。 ぼくがはじめて吉本の本を読んだのは、短大に入学した1980年頃、カバー付きの『共同幻想論』を、まったく理解できないなりに読んだときだったのではないかと思うが、当時吉本は完全に「過去の思想家」という印象だった(「詩人・吉本」はそれ以上に忘れられた存在だった。)。 その後間もなくして、角川文庫から『共同幻想論』、『言語にとって美とはなにか』、『心的現象論序説』といった主要著作の出版があり、吉本リバイバルのような状況になったと記憶しているが、実際にはその後一度も、吉本は「現役の思想家」たりえたことはなかったと思う。 もっともそのことは、彼が日本の戦後の思想のあり方の一面を体現するような人だったことと矛盾しないだろう。ある時期以後の(この「ある時期」というのが、ぼくには定かではないが)吉本の文章や発言の無力さ、無残さが、そのまま日本の戦後思想の無力さ、無残さを表わしており