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中上健次再考(黒川みどり『創られた「人種」』から) - Arisanのノート
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中上健次再考(黒川みどり『創られた「人種」』から) - Arisanのノート
前回も書いたように、最近、南アフリカ出身のノーベル賞作家J・M・クッツエーの小説をいくつか読んだの... 前回も書いたように、最近、南アフリカ出身のノーベル賞作家J・M・クッツエーの小説をいくつか読んだのだが、クッツエーに関して、デビュー直後の1980年代前半ごろまでは、当時の世界の文学界の流行もあって、(日本では特に)その作品は南アフリカの政治的現実(アパルトヘイト)から切り離して受容されることが多かった、という解説を読んだ。当時は、ポストモダンとか、マジック・リアリズム(ラテンアメリカ文学について)と呼ばれる技法上の流行が、商業的な意味からも重視され、作品の政治的背景のようなことは、なるべく考えないようにされていたと、僕自身の読書経験(80年前後は中上フリークだった)を振り返っても、たしかに思う。 それで、当時の日本の代表的作家だった中上について、この面から考え直したいと思っていたところ、たまたま図書館で見かけた黒川みどり著『創られた「人種」』(2016年)という本の第四章で、中上文学のそ