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われわれの栖は─古井由吉の『山躁賦』とは text 148 - 須藤徹の「渚のことば」
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われわれの栖は─古井由吉の『山躁賦』とは text 148 - 須藤徹の「渚のことば」
過日NHKTVのBSⅡの朝の番組である「私の一冊」で、古井由吉の『山躁賦』(講談社文芸文庫ほか)が紹... 過日NHKTVのBSⅡの朝の番組である「私の一冊」で、古井由吉の『山躁賦』(講談社文芸文庫ほか)が紹介された。出演は菊地信義。以前読んで衝撃を受けた本なので、私はその番組を集中して観た。番組の後、出演者の話にインスパイアされ、その本を再読。最初の小説の「無言のうちは/里見え初めて」が殊に面白いし、何度読んでも凄いと思わざるをえない。新幹線の食堂車の場面から始まるのだけれど、その出だしが大変凝っている。 「あれは何と呼んだか、頭巾か帽子か、茶人のかぶる隠居のかぶる、宗匠のかぶる、いやたしかに僧侶らしい、品よく痩せた老人が食堂車の隅の席で、二重回しというのか和服の外套の、寛やかな袖の内から両手を端正に動かして、ナイフとフォークをつかっていた。」私が注目するのは「頭巾か帽子か、茶人のかぶる隠居のかぶる、宗匠のかぶる」というところだ。畳み掛けるような「茶人のかぶる隠居のかぶる、宗匠のかぶる」という