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意識のさわり text 108 - 須藤徹の「渚のことば」
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意識のさわり text 108 - 須藤徹の「渚のことば」
吉本隆明著の『定本言語にとって美とはなにか』(角川ソフィア文庫/ⅠⅡ)の中で、ことばを「指示表出」... 吉本隆明著の『定本言語にとって美とはなにか』(角川ソフィア文庫/ⅠⅡ)の中で、ことばを「指示表出」と「自己表出」の二つに大別し、そのうえで後者を「意識のさわり」というレベルにおいて、次のように記す。 「言語は、動物的な段階では現実的な反射であり、その反射がしだいに意識のさわりを含むようになり、それが発達して自己表出として指示性をもつようになったとき、はじめて言語とよばれるべき条件をもった。」(第一章「言語の本質」) 「意識のさわり」という吉本隆明のことばは、いい得て妙な表現である。私はこれを、人間が何か自分とは異なる客体から、もろに影響を受けて反応する場合の「意識のざわめき」というように理解している。彼は、こうも示唆する。 「海が視覚に反映したときある叫びを<う>なら<う>という有節音を発するはずだ。また、さわりの段階にあるとすれば、海が視覚に映ったとき意識はあるさわりをおぼえ<う>なら<