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連載エセー③「井筒俊彦『意識と本質』(精神的東洋を索めて)解読。」 - ヒーメロス通信
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連載エセー③「井筒俊彦『意識と本質』(精神的東洋を索めて)解読。」 - ヒーメロス通信
連載エセー③井筒俊彦『意識と本質』(精神的東洋を索めて)解読。 連載/第三回 小林稔 詩が経験的日常に... 連載エセー③井筒俊彦『意識と本質』(精神的東洋を索めて)解読。 連載/第三回 小林稔 詩が経験的日常に亀裂を与えるものとして到来するなら、その根源は神学的にいえば天の彼方であろうが、もともと実在する場所ではないのであるから、先ほど述べたアラヤ識の深層構造から説明することも可能であろう。意味エネルギーに満ちあふれた「種子」が、何かの瞬間に表層意識に浮上し、詩の言語として詩人に訪れる。「何かの瞬間」とは、主体が「社会制度的表層言語」から解き放たれていなければ掌握できない瞬間ではある。下意識であるがゆえに一種のインスピレーションともいえるが、主体自身が意識できないだけで、経験の堆積から必然的にもたらされる恩寵のようなものである。すべての経験がアラヤ識に蓄積される。したがって真の経験をすることなくして恩寵はないであろう。 前置きは長くなったが、この『意識と本質』解読を始めよう。 P.7~9 共時的