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「忠」は「恋」の気分/武士道とエロス(氏家幹人) - 見もの・読みもの日記
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「忠」は「恋」の気分/武士道とエロス(氏家幹人) - 見もの・読みもの日記
○氏家幹人『武士道とエロス』(講談社現代新書) 講談社 1995.2 「忠」という感情は「恋」の気分と不... ○氏家幹人『武士道とエロス』(講談社現代新書) 講談社 1995.2 「忠」という感情は「恋」の気分と不可分だった。うまいことを言うものだ。戦国時代、男どうしの同性愛は、ありふれた習俗だった。例に挙げられているのは、宣教師フロイスの記録、武田信玄の誓文、越中神保氏が美童を送り込んで上杉謙信の暗殺を狙った話、蘆名盛隆と佐竹義重の”敵対する主将どうしの恋”(!)など。 徳川の平和が到来すると、戦国の気風は急速に色褪せ、18世紀半ば(享保~元文)を境に男色は社会の表舞台から消えていく。文政期(19世紀初頭)、柳亭種彦は、若衆木偶(わかしゅにんぎょう=美少年フィギュア!)という骨董人形について、こういう人形は、かつては大人の愛玩物だった、と解説しているそうだ。 明治初年、下火になっていた少年愛習俗が再加熱する。稲垣足穂は、この原因を、東京に集まった「旧藩の青年ら」がもたらしたものとと推察している。