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大林太良編 『民族の世界史』 6 「東南アジアの民族と歴史」 - 書籍之海 漂流記
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大林太良編 『民族の世界史』 6 「東南アジアの民族と歴史」 - 書籍之海 漂流記
インドシナで、中国式の科挙制度に基づく儒教国家体制を取ったベトナムを除き、残りの歴代王朝国家はイ... インドシナで、中国式の科挙制度に基づく儒教国家体制を取ったベトナムを除き、残りの歴代王朝国家はインド式の国家体制だったという説明を、これまでに読んだ概説書でいくどか見た。ならばインド式の国家体制とはなにか。この本に簡潔な定義があった。(ただしこの本では「インド化」という言葉づかいになっている。) 私は東南アジアの「インド化」というのは、正確にはグプタ文化の受容を意味するものと考えている。グプタ文化の受容にともなって、扶南国では王の名前が「・・・・・・ヴァルマン」といった形のサンスクリット名になった。この慣習は長く後世まで続いた。また扶南国ではシヴァ教のほかに大乗仏教もさかんに行われ、のちに中国に仏教が伝えられるさいの重要な基地となった。 (生田滋「第Ⅲ章 国家の形成と高文化」、本書172頁) グプタ文化とはグプタ朝(西暦320年-520年)時代に形成された、「古代インド文明の中核をなす」(