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<倭国女王ヒミコとその時代> 水野正好氏「邪馬台国の王都は大和神社辺り」 - く~にゃん雑記帳
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<倭国女王ヒミコとその時代> 水野正好氏「邪馬台国の王都は大和神社辺り」 - く~にゃん雑記帳
音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~に... 音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。 【奈良市立一条高校人文学科・市民公開フォーラム】 邪馬台国所在地論争が続く中、奈良市の学園前ホールで23日「倭国女王ヒミコとその時代」をテーマに、市立一条高校人文学科主催の市民公開フォーラムが開かれた。桜井市の纒向遺跡が王都で、箸墓古墳が卑弥呼の王墓なのでは? 関西ではこんな説も飛び交う。だが「大和説」を採る前奈良大学学長の水野正好氏(元興寺文化財研究所所長、写真㊧)はそれらの見方には懐疑的で、「卑弥呼の王都は天理市の大和(おおやまと)神社辺りにあったのではないか」とみている。 所在地論争の鍵となるのが三国志・魏志倭人伝の中の「南至投馬国水行二十日」の解釈。水野氏は他の「畿内説」と同様、「南至」は「東至」の記述ミスで投馬国は吉備(岡山)に当たると主張。そこから「水行十日