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田舎に埋もれた俳人川島奇北 ―川沿いの郷土史(5)― - クニの部屋 -北武蔵の風土記-
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田舎に埋もれた俳人川島奇北 ―川沿いの郷土史(5)― - クニの部屋 -北武蔵の風土記-
前回(06.4.11)、日光脇往還沿いに並ぶ「勘兵衛松」を紹介しましたが、 その途中に、川島奇北の句碑が... 前回(06.4.11)、日光脇往還沿いに並ぶ「勘兵衛松」を紹介しましたが、 その途中に、川島奇北の句碑が建っています。 道の少し奥に位置し、勘兵衛松の枝に覆われていますから、 碑に気付かずに通り過ぎてしまうことはしばしばあります。 川島奇北は俳人です。 慶応2年(1866)~昭和22年(1947)に活躍した人物で、 江戸時代に植えられた「勘兵衛松」とは直接関係はありません。 川島奇北は、中山稲青・中野三允と並ぶ「埼玉明治俳人の三傑」の一人と言われています。 生まれは埼玉県行田市須加村で、勘兵衛松が並ぶ上新郷の隣村にあたります。 生家は祖父の代から続く素封家で知られ、 奇北は俳人である一方、地域行政者としての顔を持っています。 明治29年には北埼玉郡会議員になっていますし、明治31年に埼玉県会議員、 さらに明治34年から何度も須加村長に就任しています。 このことが、俳人として中央の第一線に足