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銀座ACB、1968年・冬 - ワールドミュージック町十三番地
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銀座ACB、1968年・冬 - ワールドミュージック町十三番地
ACB、と書いて「アシベ」と読む。グル-プサウンズがブ-ムだった頃には、その生演奏に接することの... ACB、と書いて「アシベ」と読む。グル-プサウンズがブ-ムだった頃には、その生演奏に接することの出来る店があちこちにあり、それらは「ジャズ喫茶」と呼ばれていた。「ジャズのレコ-ドを聞く場所」と、名称としてはごっちゃだが、誰も気にしてはいなかった。今でいうライブハウス、と言ってしまうとどこかニュアンスが違うような気もする。もっと「芸能界」っぽい匂いがあった。芸能大手プロダクション系列の経営が多かったのかも知れない。 名称から察するに、戦後すぐのジャズブ-ムの際に生まれ、そのままロカビリ-・ブ-ム、GSブ-ムと、洋楽指向の日本のバンドの最前線の現場として受け継がれていったのだろう。マスコミが「今日の奇矯な若者風俗」を取り上げる場合、客席で熱狂する女の子たちの様子とコミで、そこにおける「青春スタ-」たちのステ-ジ写真を添えるのが、まあ、当時の定番だった。 東京の銀座ACBは、その本家みたいな存在