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VOL19 明治の鍬ケ崎湊(現宮古市鍬ケ崎町)其の3 - 100年前の「明治の三陸」写真帖 明治の大津波から復興した三陸の姿を伝える
明治の鍬ケ崎湊(現宮古市鍬ケ崎町)其の3 写真は、鍬ケ崎の裏山から湊を見下ろしたものです。鍬ケ崎湊... 明治の鍬ケ崎湊(現宮古市鍬ケ崎町)其の3 写真は、鍬ケ崎の裏山から湊を見下ろしたものです。鍬ケ崎湊は、北に突き出して大きく宮古湾を囲う重茂半島と、小さく南に出ている竜神崎に囲まれた波静かな天然の良港であり、江戸の昔から東日本太平洋沿岸有数の港であった訳が分かります。 さてご覧のとおり停泊している3隻の船は帆柱の残る2本マストの機帆船です。小さな船は艀や漁船でしょうか。前回掲載した三陸汽船の東北丸やこの後に紹介する釜石港に停泊する汽船と較べると些か旧式の船ばかりで、いかにも明治の湊らしい風情があります。当たり前ですが重茂半島や竜神崎の自然の姿は今と変わりません。 余聞(4)「鍬ケ崎に寄港した文人たち」 この鍬ケ崎の港には、江戸時代から多くの文人墨客が訪ねていますが、明治末期から昭和初期に来訪した岩手を代表する3人の文人の足跡を紹介します。 1人目は石川啄木。明治41年(1908年)23歳の時
2013/10/02 リンク