エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
想溢筆翔:(第288回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その131)』 - 限りなき知の探訪
(前回) 【230.分限 】P.3846、AD433年 『分限』とは、日本語ではたいていにおいて「分限者」という... (前回) 【230.分限 】P.3846、AD433年 『分限』とは、日本語ではたいていにおいて「分限者」という語句で用いて「金持ち」を意味する。しかし、漢語では「尊卑・身分の上下」つまり「身のほど」の意味しかないので、「分限者=金持ち」は日本語特有の言い回しのようだ。 二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索すると26ヶ所しか使われていず、それも清史稿が11ヶ所なので、殆ど使われていない語句であることが分かる。初出は三国志。 資治通鑑でも『分限』は2ヶ所でしか使われていない。初出の場面を見てみよう。北魏が高車を属国として統治していたが、その方針を巡って、太武帝と臣下の陸俟の意見が対立した。 +++++++++++++++++++++++++++ 北魏の太武帝が陸俟を散騎常侍に任命し、懐荒鎮の大将として高車を統治させた。一年も経たないうちに、高車の族長(莫弗)たちが、陸俟のやりかたがあまり
2017/01/05 リンク