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神の眼 - うさとmother-pearl
神を信じる意味というのは、神様の眼で自分を見てみるという練習なのだろう。神がいるとかいないとかは... 神を信じる意味というのは、神様の眼で自分を見てみるという練習なのだろう。神がいるとかいないとかは問題ではないと思う。 自分はいつも直線でしか自分や周りを見ることが出来ない。Iがamであり、Youがareであり、それ以外の他者は、isでありという自分の視線。私は(am)で、特別なあなたは(are)だけれど、それ以外は一緒くたの(is)。たくさんいれば(are)であるという視線である。(I)である私は、いつも(you)を自分の輪の中に入れ、一直線の視線を結ぶ。そうして他の(is)の人を輪の外に置く。いつも私はあなたへと向かってしまう。輪の中にいるあなたが私を見てくれていなければ、この輪は意味のないものになり、(I)も意味を見失う。それを、神が見たらどう見えるだろうと考えてみようとするところに意味がある。高い高いところにある神の眼で見れば、すべては(is)である。そう考えて、神の眼で自分を見れば