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「薔薇色の明日」 - 淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」
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「薔薇色の明日」 - 淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」
1983年8月25日、高橋幸宏の「薔薇色の明日」は発売された。 僕は、WM-2型の重いウォークマン... 1983年8月25日、高橋幸宏の「薔薇色の明日」は発売された。 僕は、WM-2型の重いウォークマンをスーツのポケットに忍ばせ、カセットに入れ直したこの高橋幸宏のアルバム「薔薇色の明日」を、ほとんど毎日のように聴いていた。 加藤和彦がリーダーだった「サディスティツク・ミカ・バンド」が解散したことを受け、高橋幸宏は、細野晴臣、坂本龍一と3人のユニット「イエロー・マジック・オーケストラ」を結成した。 世界中で大ブレイクした、あの「YMO」である。 その凄まじい狂騒の果て、「YMO」は取りあえず散会することになるのだけれど、高橋幸宏はその時期と相前後してソロ活動も活発に繰り広げた。 アルバム「薔薇色の明日」も、「YMO」が散会した年にソロアルバムとしてリリースされたものだ。 傑作である。 「薔薇色の明日」は素晴らしいアルバムである。 彼のヴォーカルは、どこかブライアン・フェリーの声とも重なり合う。