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『古代中国の虚像と実像』その5(完) - 博客 金烏工房
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落合淳思『古代中国の虚像と実像』(講談社現代新書、2009年10月) 本書の第10章で、前漢王朝で儒学が正... 落合淳思『古代中国の虚像と実像』(講談社現代新書、2009年10月) 本書の第10章で、前漢王朝で儒学が正式に採用されたのは(実はこの認識にも微妙に問題があるのですが、もう面倒臭いのでここでは触れません。)儒家思想が現実から遊離した理想論であったからであるとしています。 これに関連して、以前に即位したばかりの若き漢の武帝が儒学に傾倒したのはなぜだろうと考えてみたことがあるのです。その時の結論としては落合氏の推論とは逆に、武帝は儒学の説く礼制が極めてシステマチックな所に惹かれたのではないかということになりました。礼制というのは身分の等級によって生活のあらゆるものがきめ細かく区分されるというもので、その代表格が葬式や服喪の時に着る喪服を定めた喪服制です。礼制の中では当人と個人との親等などに応じて着る喪服や服喪の期間などが細かく定められています。 しかし武帝の儒学への傾倒は儒学嫌いの竇太后によっ