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「ぼくの大林宣彦クロニクル」書評 生身の監督、「息子」が活写|好書好日
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「ぼくの大林宣彦クロニクル」書評 生身の監督、「息子」が活写|好書好日
「ぼくの大林宣彦クロニクル」 [著]森泉岳土 大林映画は繰り返し見られていても、大林監督がどのよう... 「ぼくの大林宣彦クロニクル」 [著]森泉岳土 大林映画は繰り返し見られていても、大林監督がどのような人だったかは、それほど知られていないのではないだろうか。本書を読んで改めてそう思うのは、ほかでもない僕自身が、かつてそうであったからだ。 かつて、というのは、僕は東日本大震災後、親しく交流させていただく機会を得たのだが、生身の大林監督には驚かされっぱなしだった。しかし、まだまだ見立てが甘かった。著者が目撃した「義父」との19年を綴(つづ)った本書は、にわかには信じがたい逸話が満載だ。なにせ冒頭から、結婚の挨拶(あいさつ)に向かった大林夫妻の家で、著者は馬の鞍(くら)を背負い、帰るときには台車を押していたというのだから。 けれども、それがこんなふうに自然に伝わるのも「森ちゃんはことばの人だ」と見抜いた大林監督の後押しがあってのことだ。言い換えれば、大林監督が「息子」の筆を借り、没後3年にしても