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『街道の日本史49 壱岐・対馬と松浦半島』佐伯弘次編(吉川弘文館) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
→紀伊國屋書店で購入 本書の「あとがき」は、「日本国内をくまなく歩いた民俗学者宮本常一」の「かつて... →紀伊國屋書店で購入 本書の「あとがき」は、「日本国内をくまなく歩いた民俗学者宮本常一」の「かつて僻地には想像以上に文化が定着していた」ということばではじまる。本書で取りあげた「壱岐・対馬と松浦半島」は、僻地ということなのか。この地方の人口は昭和30年代がピークで、その後急速に過疎化と高齢化が進行し、衰退したことから僻地ということばがふさわしいのかもしれない。しかし、「都会から遠く、辺鄙な土地」である僻地は、文化果てるところどころか、時代や社会によっては文化の最先端の地でもあった。 近代のように閉鎖的中央集権的な国家の時代にあっては、国境地域は僻地としてさびれるが、開放的な時代にあっては新たな文化を受け入れる窓口として繁栄する。壱岐・対馬と松浦半島が栄えたのは、戦争を含め朝鮮半島や中国など大陸との交流が活発な時代であった。そこは、国境を越えた海民の活躍する場でもあった。換言すれば、陸を制度
2011/03/18 リンク