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『カントの啓蒙精神-人類の啓蒙と永遠平和にむけて-』宇都宮芳明(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
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『カントの啓蒙精神-人類の啓蒙と永遠平和にむけて-』宇都宮芳明(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
→紀伊國屋書店で購入 「啓蒙と道徳の関係」 この著作の中心的なテーゼは、啓蒙は究極的には道徳的な啓蒙... →紀伊國屋書店で購入 「啓蒙と道徳の関係」 この著作の中心的なテーゼは、啓蒙は究極的には道徳的な啓蒙であるということである。啓蒙は周知のように「未成年の状態から脱出すること」と定義されており、カントは啓蒙されていない状態を、「わたしは、自分の理性を働かせる代わりに書物に頼り、良心を働かせる代わりに牧師に頼り、自分で食餌を節制する代わりに医者に食餌療法を書法してもらう」(カント『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』古典新訳文庫、11ページ)と表現していた。 だから啓蒙とはまず、理性を働かせること、良心を働かせること、みずから判断で健康を維持することという三つの領域で考えられているとになる。理性という知の領域、良心という道徳の領域、健康という医学の領域のそれぞれにおいて、「自分の力で考えること」が啓蒙のとりあえずの目標である。 著者は、この啓蒙の営みの三つの格律をカントの著作から取り出して