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古田大次郎『死の懺悔』 編集者の前書き全文と本文項目概要、本書は古田の獄中ノートが纏められた。 古... 古田大次郎『死の懺悔』 編集者の前書き全文と本文項目概要、本書は古田の獄中ノートが纏められた。 古田は当初は長いテキストを書いていたが途中から日録として日付けを記し始めた。 江口渙「古田君を憶ふ」1925年12月23日 1922年9月25日頃、鵠沼で同居するようになった。 高野松太郎君の紹介で応援に来てくれた。 古田君と暮らした鵠沼の秋は愉快な懐かしい3ヶ月であった。 今年の1月に巣鴨の刑務所で縊死した後藤謙太郎君が、その頃、宇都宮の獄から出て来て、ひょっこり鵠沼へ私達を訪ねて来た。その時、古田君があんなに無口のくせに実に気のつく人であり、かつ、温かい心の持ち主であると云う事を私ははっきりと知る事が出来た。それは自分の蟇口からなけなしの金を出して、正宗の四合瓶を二本も買って来て、酒好きの後藤君にあてがったからだ。 自己に対して施す事の実にうすい人だった。 煙草はのんだ。然し、酒は全くのまな