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鈴木涼美 最も大切にするべき無意味の自由を、大人は自ら手放してしまう(ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』を読む)|連載|中央公論.jp
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鈴木涼美 最も大切にするべき無意味の自由を、大人は自ら手放してしまう(ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』を読む)|連載|中央公論.jp
怖がりで慎重だった子供時代 門を入ると真正面に小ぶりで綺麗な聖堂があり、その向かって左側に小さな園... 怖がりで慎重だった子供時代 門を入ると真正面に小ぶりで綺麗な聖堂があり、その向かって左側に小さな園庭、右側に平屋の素っ気ない園舎がある幼稚園に、私が通い出したのは年中の夏休み明け、5歳になったばかりの頃でした。それまでは両親の仕事の都合で保育園に通っていたのですが、同じマンションに親しい家族も何組かいたので、多少留守番ができる年齢になって幼稚園に移ったのです。朧げな記憶を掘り返すと、その頃の私はとても怖がりで、中でも街で迷子になることを極端に恐れていたので、どこか旅行にいっても、目の前に広がる楽しい光景にいまいち集中できずに、常に自分の位置を確認している慎重な子供でした。 慎重さの出どころについて、思い当たる節がないわけではありません。母は忙しい人で、元来やや感情的で自由な性質だったので、たとえば一緒に博物館に入って、彼女の興味が別のところに向けば、すぐに私から目を離してそちらに夢中になっ