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木戸孝允は、「貫治」とも名乗ったようだが、そのいきさつのわかる資料を見たい。 | レファレンス協同データベース
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木戸孝允は、「貫治」とも名乗ったようだが、そのいきさつのわかる資料を見たい。 | レファレンス協同データベース
木戸貫治と名乗ったいきさつについては、藩主から与えられた(藩命)とするもの、改名を願い出て許され... 木戸貫治と名乗ったいきさつについては、藩主から与えられた(藩命)とするもの、改名を願い出て許されたとするものがある。「貫治」と名乗った理由については記述のある資料は見つからなかった。 次の資料を紹介する。 (藩命とするもの) 『維新史料綱要 6 慶応元年正月-慶応2年12月』(東京大学出版会 1983) p212「萩藩、藩士桂小五郎(孝允)ヲ木戸貫治、同高杉和助(春風東行)ヲ谷潜蔵ト改名セシム」とあり。 『史実考証木戸松菊公逸事』(妻木忠太著 有朋堂書店 1984) 巻頭p22〈略年譜〉に「九月二十九日(慶応元年) 藩主、桂小五郎の氏名を木戸貫治と改めしむ公是より木戸氏を称す」とあり。 p2「木戸氏の名称」の章に、「慶応元年公が但馬の潜伏地から虎口を免れて帰国し、藩政改革に盡力するに方って、幕府の嫌疑もあるので、藩主はその氏名を改めしめんとし・・・」とあり。 『木戸孝允 維新前夜の群像4』