エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
「平和に対する罪」 の法理を欠けば真実の解明は不可能だった | 世に倦む日日
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「平和に対する罪」 の法理を欠けば真実の解明は不可能だった | 世に倦む日日
講談社刊の『東京裁判』上下巻をほぼ読み終わったところで感想を書き述べるが、やはり東京裁判と南京大... 講談社刊の『東京裁判』上下巻をほぼ読み終わったところで感想を書き述べるが、やはり東京裁判と南京大虐殺の二つが密接不可分な関係の問題であることをあらためて痛切に考えさせられる。今回、森岡問題が起きた際に中国外交部の孔泉報道官が東京裁判の歴史的意義について若干触れ、その中で絞首刑七名の殆どが中国への侵略戦争の責任を問われたA級戦犯であった点が強調されていたのだが、なるほど確かにそのとおりであり、中国政府にとって東京裁判の意味がきわめて重大である理由がよく分かる。死刑判決を受けた戦犯七名の中で日中戦争に関係なかった者は一人もいない。軍人ではない文官の広田弘毅が異例の極刑に処せられたのも、南京大虐殺事件の当時の外相でありながら、大虐殺の報告を受けつつ、それを制止する措置を怠った不作為の責任が問われたことによる。松井石根と広田弘毅の死刑は、まさに南京大虐殺の責任を取らされたものであった。 南京大虐殺