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或るリベラルによる国籍観 - KYの雑記ログ
この原稿は、クリスチャン・ヨプケ「軽いシティズンシップ――市民、外国人、リベラリズムのゆくえ」にお... この原稿は、クリスチャン・ヨプケ「軽いシティズンシップ――市民、外国人、リベラリズムのゆくえ」における古典的市民権が「社会統合を支えるリベラルな装置」であると同時に「排他性」を持つ(排他的論理和のように一つだけしか選べない)という側面があることを指摘する話です。 最近蓮舫議員の二重国籍疑惑が話題になっており、それに対応する形でコリア系の帰化経験者からもコメントが出ているようで1、自分にも思うところがあるから、国籍とは何か、リベラルとしての価値観から考察する。 我が国の小中高の教科書では基本的に近代リベラルの国家観、すなわち社会契約論に従った説明がなされる。ホッブズが言うところの自然状態、「万人の万人に対する闘争」状態から個々人が共通の法律に従うという契約を結ぶ、というようなストーリーである。細かいところで諸所様々な説はあるだろうが、「まず個人ありき、個人が共通の法律に従う契約を結ぶことで国