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北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part13
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北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part13
▲ 豊原から樺太西線の真岡まで、山脈を横断した豊真線(76.2㌔)ですが、1994年になって途中の宝台ルー... ▲ 豊原から樺太西線の真岡まで、山脈を横断した豊真線(76.2㌔)ですが、1994年になって途中の宝台ループ線のトンネル内崩落があり、復旧費用が多額に及ぶ事から1995年以降は運休(廃線)になってしまいました。ただ、豊原から16.2㌔先の奥鈴谷、ロシア語ではノヴォデレヴェンスカヤ(Ново-Деревенская)まではД2 系気動車による運行が行われています。 第6日目 7月14日 その4 14:55 ユジノサハリンスク鉄道歴史博物館のチリーキン・アンドレイ・ニコライ館長さんから次は駅横の屋外展示館も見ましょうと案内いただきました。 通訳がいれば詳細を投稿できるのですが、懸命に話していただけましたのに少しを理解できただけでした。 ▲ 15:34 丁重にお礼を申し上げてユジノサハリンスク駅へと向かいました。ヤードの向こうのD51-4は駅員からの目がいかない駅舎横からの撮影です。 ▲ 駅のき