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夢みる頃をすぎても――山戸結希『ホットギミック ガールミーツボーイ』論
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夢みる頃をすぎても――山戸結希『ホットギミック ガールミーツボーイ』論
山戸結希は青春映画の名手である。 それは彼女が監督する作品の多くが思春期を過ごす女子高校生を主人公... 山戸結希は青春映画の名手である。 それは彼女が監督する作品の多くが思春期を過ごす女子高校生を主人公としているから、という理由には尽きない。山戸作品の最初期において特に顕著にみられるモノローグが示すように、彼女たちは周囲の世界――田舎や地元への強烈な違和を心の裡に抱えていることが多い。 おそらく「青春」を生きることとは、今、目の前にある生活とその現実には収まりきらない過剰な自己意識を抱えて生きることに違いない。『あの娘が海辺で踊ってる』(2012年)では、主人公の舞子(加藤智子)はJ-POPを聴くことに夢中の同級生たちに突然食ってかかるような地元で浮いた存在として描かれる。やがて親友である菅原(上埜すみれ)が恋人を見つけて田舎に残ろうとすると、彼女は引き裂かれる思いを抱えながら東京を目指す。あるいは『おとぎ話みたい』(2014年)では、主人公・しほ(趣里)は自らが通う学校の教師である新見に「