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2006-07-21
日本海軍はオーストリア海軍と2度戦ったことがある。今日は、その2度目についてふれよう。その舞台は... 日本海軍はオーストリア海軍と2度戦ったことがある。今日は、その2度目についてふれよう。その舞台は地中海に転じる。また、戦ったというよりも一方的に潜水艦から魚雷攻撃を受けたと言った方が正確だろう。 第一次世界大戦前から、オーストリア海軍はフェルディナント皇太子の強力なバックアップもあって海軍力の増強に努め、21,500トン級のテゲトフ級戦艦を4隻建造し、潜水艦隊を新設した。 「サウンド・オブ・ミュージック」で有名な“トラップ大佐”も、大きな可能性を秘めた潜水艦に魅了され1908年に念願の新設された潜水艦隊に配属となった。1910年には新造潜水艦U-6の艦長となり1913年までその地位にとどまる。 第一次世界大戦開始後の1915年4月にU-5の艦長に転任、9回の哨戒任務に就く。1915年10月には、フランスから捕獲した潜水艦Curieを改装したU-14を任され10回の哨戒任務に就く。1918年