エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
吃音のフラッシュバック | 記憶する体 伊藤亜紗 | web春秋 はるとあき
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
吃音のフラッシュバック | 記憶する体 伊藤亜紗 | web春秋 はるとあき
前回は、幻肢痛をとりあげ、記憶をとりもどすことによって痛みが一時的に消える現象についてお話しまし... 前回は、幻肢痛をとりあげ、記憶をとりもどすことによって痛みが一時的に消える現象についてお話しました。しかし、記憶は常に痛みを消す方向に作用するとは限りません。トラウマのように記憶が苦痛をもたらす、という逆のケースもあり得るからです。 今回とりあげたいのは、吃音と記憶の関係です。私は数年前から吃音の当事者へのインタビューや観察を行っていますが、続けるうちに、あるひとつの傾向が気になってきました。吃音の当事者でありながら、吃音に関わることを恐れる人が一定数いるのです。 たとえば、今年の夏に『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』という吃音をモチーフにした映画が公開されました(湯浅弘幸監督)。主人公の女子高生、大島志乃には吃音があり、高校生活初日の自己紹介で自分の名前に詰まってしまいます。そこから始まるクラスメイトたちとのやりとりを描いた物語で、自身も吃音当事者である押見修造の同名の漫画が元になって