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不幸な弟子意識 - HODGE'S PARROT
風邪をひいてしまったので、部屋に閉じ込もってデリダでも読もうかなと思う──なんでも、デリダを読むだ... 風邪をひいてしまったので、部屋に閉じ込もってデリダでも読もうかなと思う──なんでも、デリダを読むだけで、良いことがありそうなので、本棚からデリダ関連の本を取り出してみた。 で、古いのから新しいものへ。というわけで、まず、『エクリチュールと差異』より「コギトと『狂気の歴史』」のページをめくった。フーコーの大著『狂気の歴史 古典主義時代における』を批判したものだ。冒頭、デリダはまず、「弟子意識」について述べている。この「独白」がなんだかとても印象的だった。 それ(フーコーの『狂気の歴史』)は、まことに多くの点において驚嘆すべき書物、力強い息吹と文体を兼ねそなえた書物でありまして、かつてたまたまミシェル・フーコーの教えを受けたことがあり、讃嘆と感謝の念をもった弟子としての意識を依然として抱いているわたしにとりましては、それだけにまたいっそう恐るべき書物なのであります。 ところで、この弟子意識とい