エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
市谷の杜 本と活字館|活字の種を作った人々
鉛の活字を組み合わせて機械で印刷する活版印刷技術は、幕末から明治初期にかけて日本に導入され、明治... 鉛の活字を組み合わせて機械で印刷する活版印刷技術は、幕末から明治初期にかけて日本に導入され、明治維新の大きなうねりとともに、産業として定着していきます。しかし、そもそも、活版印刷で使う活字はどうやってつくられたのでしょうか。活字のおおもとの型を「種字」と呼び、その種字を彫る職人がいました。それが種字彫刻師です。 種字は活字と同じサイズの木や鉛の角材の先端に、彫刻刀を使い、左右逆字に文字を彫っていきます。本文で使う活字はわずか3ミリ程度の大きさしかありません。そこにどんな文字同士が隣り合ってもバランス良く見えるよう、大きさ、太さ、そして書風をそろえて文字を彫刻するという、人間業とは思えない精緻な技術で種字を彫刻していました。 そんな高い技術を持つひと握りの職人たちですが、その多くが名前も残っていません。市井の職人として、美しい文字だけを残していきました。 本展では辛うじて名前の残っている種字