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行動経済学の父ヒューム : 池田信夫 blog
2011年07月26日00:29 カテゴリ本 行動経済学の父ヒューム 昔、廣松渉の授業で、彼が「私のことをヘーゲ... 2011年07月26日00:29 カテゴリ本 行動経済学の父ヒューム 昔、廣松渉の授業で、彼が「私のことをヘーゲリアンだという人が多いが、私は近代哲学でいちばん重要なのはヒュームだと思う」と言ったことがある。よく西洋の近代哲学はデカルトの方法的懐疑から出発したといわれるが、これを徹底したバークリは、世界のすべての事物は私の意識の生み出した仮象だという主観的観念論を主張した。ヒュームはさらに進んで、デカルトもバークリも疑わなかった「私」の存在を疑った。彼は「人間とは、絶えず変化し、動き続けるさまざまな知覚の束」だとした上で、そういう本源的にはバラバラの知覚の束が「私」という同一性をもつのはなぜかと問い、その答を記憶の保持に見出した。これはほとんど現代の脳科学と同じ結論である。この観点から、彼は法則や因果関係などの近代科学の概念を疑う。すべての事実の逆もまた可能である。それは論理的な矛盾をきた
2011/07/27 リンク